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短期大学部のあゆみ



戦後、私学の先達たちは、焦土と混乱の中にあって、教育こそ新しい民主国家や自由で明るい社会を建設する原動力であるという認識のもと、さまざまな教育機関を創設していった。その中の一人が、本学の創設者塚本英世である。溢れる情熱と不撓不屈の意志をもって、今日の塚本学院、大阪芸術大学グループを築き上げた。
本学は、1945年(昭和20年)に創設された平野英学塾を起源とする。その後1946年浪速外国語学校、1949年浪速外国語専門学校、1951年浪速外国語短期大学、1954年浪速短期大学となり、2000年に大阪芸術大学短期大学部と校名変更して今日に至っている。
建学の精神を反映した本学の教育理念は、次の5つの柱からなっている。

創設者塚本英世は、「人の心に愛を産みつけることのできる教育」をめざした。この人間尊重の精神は、青空子ども会、青い鳥幼稚園、そして幼児教育への取り組みへと受け継がれ発展してきた。
戦後の英語教育の重要性が、本学創設の原点である。外国語を学ぶことを通して、世界の文化、歴史、社会への理解を深めるとともに、国際交流を精力的に推進している。

社会に貢献できる人間を育成するために、時代の変化に伴って、本学の学科は増設されてきた。各学科においては、一般教養による人格の陶冶とともに、専門教育による有用な知識や技術の習熟をめざしている。

自由の精神を徹底することにより、豊かな創造力をのばすとともに、明るく活発で進取の気性旺盛なスクールカラーを生み出している。

芸術教育及びその実践を通し、既成の価値観を乗り越える創造性を奨励するとともに、感性と理性との調和した豊かな人間性の涵養を図っている。
沿革
| 昭和20(1945)年 | 塚本英世により、浪速短期大学の母体となる平野英学塾創設 |
| 昭和21(1946)年 | 浪速外国語学校を創立 |
| 昭和26(1951)年 | 浪速外国語短期大学(英語科第1部)開学 |
| 昭和27(1952)年 | 浪速外国語短期大学に大阪幼稚園教員養成所と附属幼稚園(青い鳥幼稚園)を併設 |
| この時点で創設者塚本英世が戦時中に創設した青空子ども会(日曜学校・小桜学園)は青い鳥幼稚園に吸収 | |
| 昭和28(1953)年 | 浪速外国語短期大学附属幼稚園(松ヶ鼻幼稚園)開設 |
| 英語科第2部を増設 | |
| 昭和29(1954)年 | 保育科第1部・第2部増設 |
| 浪速外国語短期大学を浪速短期大学に改称 | |
| 昭和32(1957)年 | 大阪美術学校を設置 |
| 昭和33(1958)年 | 浪速短期大学附属照ヶ丘幼稚園を設置 |
| 昭和34(1959)年 | 矢田に円形学舎竣工。短大及び学院本部移転 |
| 昭和35(1960)年 | 広報科第1部・第2部、デザイン美術科第1部・第2部を増設 |
| 昭和37(1962)年 | 浪速短期大学にデザイン美術専攻科第1部・第2部を設置 |
| 商業科第1部・第2部を増設 | |
| 昭和39(1964)年 | 浪速芸術大学(芸術学部美術学科・デザイン学科)開学 |
| 昭和41(1966)年 | 学校法人浪速外語学院を学校法人塚本学院に改称 |
| 浪速芸術大学を大阪芸術大学に校名改称 | |
| 昭和43(1968)年 | 浪速短期大学附属金剛幼稚園を設置 |
| 昭和57(1982)年 | 大阪芸術大学・浪速短期大学附属泉北幼稚園を設置 |
| 昭和61(1986)年 | 伊丹学舎竣工。広報科、デザイン美術科を移転 |
| 昭和62(1987)年 | 白浜研修センターを設置 |
| 平成 4(1992)年 | 矢田学舎に新館(3号館)竣工。菅平高原研修センターを設置 |
| 平成10(1998)年 | 矢田学舎を大阪学舎と改称 |
| 平成11(1999)年 | 大阪学舎3号館増築 |
| 平成12(2000)年 | 浪速短期大学から大阪芸術大学短期大学部に改称 |
| 英語科を英米文化学科に改称 | |
| 保育科を保育学科に改称 | |
| 商業科を商業学科に改称 | |
| 広報科を広報学科に改称 | |
| デザイン美術科をデザイン美術学科に改称 | |
| 平成15(2003)年 | 専攻科保育専攻設置 |
| デザイン美術専攻科を専攻科デザイン美術専攻に改称 | |
| 平成17(2005)年 | 商業学科を経営デザイン学科に改称 |
| 平成22(2010)年 | 経営デザイン学科をビジネス学科に改称 |
| 広報学科をメディア・芸術学科に改称 | |
| 平成25(2013)年 | ビジネス学科を英米文化学科に統合 |
















































