現在は「自分探しの時代」だといいます。よりよく生きようとして、「自分ってなんだろ う?」と考え、模索する。そんな「自分探し」が、とても大切になる時代だということな のでしょう。
文章を書く、小説を書くということで私が思うこと。それは、「書くことは、自分を見つ けていくことだ」ということです。自分の気持ちがハッキリしない時、紙に書いてみると 整理できた、とか、自分の苦しい心を日記に書いて、少し落ち着いた、という経験はあり ませんか?それは、色んな可能性を持っているけれど、だからこそよく分からない「自 分」というものの一つの面が、文章によって導き出されたということです。書くことによ って、今まで知らなかった自分の思いや、考えが見えてくるのです。生きていく中で感じ るつらい気持ちなどが、書くことによって浄化されることもありました。悲しみや苦しみというものを、表現したり、誰かのための声にしようと思うことで、ポジティブに捉える こともできるのだと思います。
それに、人の書いたものを読んで、今まで想像もしなかったことを知ることが出来、「ああ、こんな風に考えることもできるんだ」と、自分の可能性が広がることもありました。
文章はまた、人によって様々な目的で書かれます。つたえたい、自分の思っていること、感じたことを、ただ、つたえたい人。誰もしたことのない表現で、新しい世界を見たい人。 面白い物語を聞かせて、楽しませてあげたい人…。文芸学科は、そんな先生や生徒のたくさんの文章たちが交流し、交錯する場です。私はここにいて、色んな人の文章や、物語や、 考え方に触れ、技術と、その技術のもっと根本にある心構えを少しは学べたのではないか と思われます。
多く売れることや、すばらしい技術だけが偉大なのではない。百万人を喜ばせることだけが偉大なのではない。たったひとりのひとを励ましたくて、一生懸命書いたもの、自分 を救うために、泣きながら書いたもの、そういうものにも価値があるのだと思います。
私の本は売れ筋ではありません。でも、本当に、心をこめて、書いたものです。つよく 感じていることを、誰かにつたえたくて、何かを見つけたくて、ただ。
そして、たったひとりかもしれないけれど、顔も知らず、会ったこともない人かもしれないけれど、その読者から自分の本が深く愛されたことがわかった時、私は、とても幸せでした。私は、書くことと読むことに、色々な面で救われてきた。そう思っています。