ガラス張りの乗り物の中に3人が乗っている。逆に中にいる彼らからすれば、大きな窓から、こちらの景色が見えているだろう。乗っているのは現代アートチーム目[mé]のメンバー。左からディレクター南川憲二、インストーラー増井宏文、アーティスト荒神明香である。
日常の中であたり前と思っていることは実はあたり前でもなければ、実は儚い頼りないものなのかもしれないと示してくれる作品をつくる彼ら。そこには独自の発想や妥協のない技術が駆使される。
東日本大震災被災地の石巻で行われた「リボーンアート・フェスティバル2017」にこんな展示があった。
ある家に通されて、上がりこみ、穏やかな庭に面した縁側のようなところに座っていると、その家は振動とともに動き出し、窓から見える風景は町中のものになり、やがて、建物が津波に流されて基礎だけになった土地や高い壁のような堤防、まさに被災地の風景。
その縁側だと思って、上がりこんでいた場所が実はこのクルマだ。走り出し、地震や津波の爪跡の残る場所へと連れて行った。
また、千葉市美術館では、2つのフロアにまったく同じ空間をつくり、観客にそれを行き来させ、しかも展示スタッフや観客に扮した人員をごく自然な様子で配置、普通に移動させていたため、展示物と観客との境が曖昧になり、何を鑑賞しているのか、確証を持てなくなるような作品を発表した。
2015年の越後妻有アートトリエンナーレではありふれたコインランドリーのマシンが異世界への入り口になり、そしてもとの場所に戻ってきたときはみんなその不思議さに首をひねり、すぐに気づいたり、しばらく考えさせられたりする作品で話題を提供した。
考えつくされ、巧みに制作された仕掛けにも、当然、種も仕掛けもあるわけで、このSNS全盛時代には、先に見た人はネタバレの投稿をしたりしないのだろうか。
ディレクターの南川が語る。
「最初、コインランドリーのとき、もっとブログやSNSに上げられたりするのかなと思ったのですが、それはほとんど無くて。僕たちも驚きました。それで千葉市美のときは信じてみようじゃないですけど、そういうことを言わずに発表しました。開幕直後、観客の人が『これは言わないほうがいいだろう』とかそういうことを発信していて。SNSも何がファウルで何がフェアか、皆でルールをつくってるんじゃないでしょうか。やっちゃだめって言い出すと、逆にもっとつぶやかれてしまうとかね」
アーティストの荒神は、作品とそれを観る側の関係を常に真摯に考えている。SNSにもその関係が反映されると見ている。
「作品をつくるときに観る人の主体性に働きかけることを大事にしています。もしかしたら観客の反応自体も作品の中に含まれるというか、観る人も含めて作品に加担していくような感覚になっていくこと。だから、SNSで言うとか、言わないとかもそこに含まれていて、観た人が自分ごととしてくれたということは私たちにとってとても大切なことなんです。観た人の目線や反応や、そういうものを」
南川がさらに続ける。
「大スベりの可能性50%、いろんな反応がある可能性が50%、50:50じゃないと本当に大事なことって伝わらないかなと思います。お金返せっていうお客さんもいるし、スタッフが泣いてしまったり。僕たちもどうなるかわからないものをぶつけるから、観客も真剣に反応してくれるんだと想像できますし、信じています」