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vol.3 無駄こそ宝 vol.3 無駄こそ宝

文芸学科 / その他
2021/06/11

イラストレーション:竹安佐和記 ©crim

わたしが専攻した映像学科の授業には制作実習があった。班を組んでみんなで題材を考え、短い脚本を書き、ロケハンする。カメラ機材をかついでぞろぞろ移動し、撮影して、現像したフィルムを編集しささやかな作品に仕上げる。そう、その頃はまだ映画はフィルムで撮っていた。90年代が終わって、2000年代に入る頃の話である。 


研究室の棚には、16mmフィルムのキャメラ(教授陣はカメラではなく頑なにキャメラとよんだ)や三脚、照明や録音の機材がびっしり並んでいた。光量や距離を逐一測らなくてはいけないフィルム撮影は、大変な手間がかかる。なによりフィルムは高価。あるとき、ほかの班が制作実習で撮ってきた画の中に、芸坂の下にいる警備員のおじさんを写したオフショットが混じっていた。自然光で撮られた仕事中のおじさんはいきいきしていて、スクリーンに映し出されるや教室中がなごんだ。けれども教授に言わせれば、「フィルムを無駄遣いするなんてご法度!」なのだった。 


その頃にもデジタルのカメラは存在した。わたしも卒制はデジカムで撮り、Power Mac G4で編集している。いま考えるとおもちゃみたいなデジカムだし、Macはネットにすらつながっていなかった。カメラの画素数は日進月歩で上がっていく。だけどまだ誰も、映画をフィルムで撮らなくなる時代が来るなんて、予想もしていなかった。 


映画が大好きで映像学科に入ったのに、映画の道には進まなかった。卒業後に悪あがきを重ね、いまは文学の世界にいる。キャンパスでいうと、たしか映像学科のある7号館の上階が文芸学科だった。7号館のテラスでぼんやりしていたわたしの未来は、もうひとつ上の階にあったわけだ。じゃあ最初から文芸学科に入ればよかったのにな~とは、不思議と思わない。4年間も無駄な回り道をしてしまった!という後悔もない。きっといま映画界で仕事をしている同期も、フィルム撮影の勉強が無駄だったとは、絶対に思っていないはず。 


人は目的に最短ルートでたどり着こうとする。若ければなおさら、焦りは募る。だけどわたしの場合は、回り道の積み重なりで、新たに道が拓けた。大学にいた頃は気づかなかったけれど、当時は息をしているだけで何かを学び、吸収していたのだ。一見すると無駄で、無為に思える時間でも。無駄の中に宝があったというより、無駄は集積によって、宝に化けたのだ。


●山内 マリコ(やまうち まりこ)1980年富山県生まれ。作家。大阪芸術大学映像学科卒業。2008年、「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。同作と『アズミ・ハルコは行方不明』は映画化もされた。2021年には『あのこは貴族』も映画公開予定。『山内マリコの美術館は一人で行く派展』などエッセイも多数。