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Interview

デザイナー、ライトノベル作家、VTuber…… 多方面で活躍するクリエイターの原点。 デザイナー、ライトノベル作家、VTuber…… 多方面で活躍するクリエイターの原点。

映像学科
木緒なち
グラフィックデザイナー、ライトノベル作家。
大阪芸術大学卒業後、デザイン事務所勤務を経て26歳の時に独立。現在は株式会社KOMEWORKS代表取締役。また近年は、VTuberとして配信活動も行っている。デザインの代表作として『ひだまりスケッチ』『ご注文はうさぎですか?』『世話やきキツネの仙狐さん』各装丁・ロゴデザイン、VTuber「ときのそら」ロゴデザイン、「電撃だいおうじ」初代ロゴデザインなどを担当。またシナリオライター・作家としての代表作に『蒼の彼方のフォーリズム』『グリザイアの果実』『ぼくたちのリメイク』などがある。

大阪芸術大学について

大阪芸術大学(以下:大阪芸大)へ通おうと思ったきっかけは何でしたか? また、映像学科を志望した理由は何でしたか?

高校生の頃、部活のポスターやチラシなどでレタリングのまねごとをしていた際、友人や先生に褒められたのをきっかけに、グラフィックデザインの分野に興味を持つようになりました。ですが、資料を集めたところ、デザイン学科はデッサンの試験があることから現役だと難しいのではという考えに至り。同じく興味を持っていて、将来的に可能性の広がりそうな映像学科を選んで受験しました。

大阪芸大に通っていた頃の思い出を教えてください。

それまで単なる普通科の高校生だった身には、あまりにもすべてが専門的で、大きなカルチャーショックを受けたのを覚えています。今のようにネットも無かった時代なので、とにかく触れる物すべてが楽しく、刺激的でした。また、それまで家族の中で庇護されていた存在から、急に1人暮らしをすることになって、衣食住を自分の収入からやりくりすることを学びました。未だに、安くて腹持ちのいい食材に惹かれることが多いです(笑)。

当時の映像学科の雰囲気はいかがでしたか?

当時は故・佐々木侃司先生が学科長をされていた時代でしたが、映像という分野がこれから大きく羽ばたこうとしている、そんな活気にあふれていましたね。熊切和嘉監督が2学年上で賞を取ったことなど、学生にとっても様々な可能性を感じられる、いい時代だったなと思います。また、それまで編集室を借りなければできなかった編集作業についても、PCで映像編集を行うノンリニア編集が自宅の環境でもできるようになった頃なので、テロップの入れ方や演出など、少しずつ新しい空気が流れてきたのも感じました。

大阪芸大に通っていた頃はどんな作品を作っていましたか?

元々、グラフィックデザインにも興味があったので、早々にMacを手に入れてタイポグラフィーや細かいカット割りで遊んだりして作品を作っていました。当時は最先端の映像表現というと広告かMVが主な主戦場だったので、僕は広告に注力していました。ただその傍らで、友だちの自主映画に参加したり、脚本を書いたりと、物語的なものへの興味はずっと持ち続けていましたね。そこが、後年の仕事にも繋がったように思います。

映像学科に通われていた木緒さんですが、その頃から小説は書かれていたのでしょうか?

まったく書いていませんでした。当時は映像脚本の方に強い興味があったので、小説は楽しんで読むものの、自分などが入っていけるところではない、という意識が強かったです。親しい友人や先輩に、文芸学科で優秀だった学生が多かったことも、小説から遠ざかっていた理由のひとつでしょうね。要は、コンプレックスが強かったのです。

大阪芸術大学卒業後

大阪芸大を卒業後、デザイナーになられた経緯をお伺いできますでしょうか。大阪芸大在学中に転機となった出来事があれば、そちらも合わせて教えてください。

当時はいわゆる就職氷河期で、CM制作会社に進もうと思っていた自分も、そう簡単に就職はできませんでした。なので、グラフィックデザインの方で関われる分野がないかと思い、自分なりにポートフォリオを作ってデザイン事務所の面接を受けていたところ、30社目ぐらいでやっと受かり、それで入社し本格的にグラフィックデザインをやっていくことになりました。

3回生から4回生ぐらいの頃に、自分は物作り以外への興味が強すぎて、純粋なクリエイターとして活動するには向いていないと感じていました。プロモーションや座組作りなど、いわゆるプロデュースの方面も好きだったんです。そこから、広告制作の方へと進んでいったように思います。

デザイナーとして独立を決意した理由と、独立して良かったこと・苦労したことを教えてください。

当時、グラフィックデザイナーは『3年で転職、5年で独立』というなんとなくのイメージがありました。実際にそれぐらいの経験年数になると、お金の仕組みについて考えたり、馴染みのある取引先が増えてきたりして、自分のやり方で進めたいと思うようになったんです。それで、26歳の時にフリーランスになり、やがて法人を作る流れになりました。

良かったこととしては、自分のペースで仕事ができること。元々、休日と平日、昼間と夜間の区別なく仕事をしていたい思いがあったので、叶えることができてだいぶ気が楽になりました。苦労は……山のようにありますね。特に最初の1年ぐらいはずっと資金繰りに悩んでいたように記憶しています。

それまでデザイナーとして活動されていた木緒さんが、シナリオライター、小説家としても活動をしようと考えた理由は何だったのでしょうか。

2003年頃、当時僕はPCゲームやコミックスなどのデザインを手がけていたのですが、PCゲームの制作にヘルプで向かった現場で、シナリオの手伝いを依頼されたのがきっかけです。学生の頃にやっていたからといって、素人にさせていいのか……と戸惑ったのですが、当時のPCゲームはそういう誰でも参加できるような空気があったので、それで思い切ってやってみたのがきっかけです。そこから何作かシナリオライターとしての活動をし、出版関係の方からお誘いを受けて、ライトノベルも執筆したという経緯です。

プロのクリエイターになるために、木緒さんが大事だと感じていることは何でしょうか?

見る側、読む側の人を意識してものを作ることだと思います。作品に触れたあとに何かしらの感情を与えることができれば、それは刺激となって、受け手に何かしらの変化をさせることができます。その反応・変化が大きければ大きいほど、作品としての意義があると思いますし、商業的な意味にも繋がってきます。自分の中で完結させるか、多くの人を含めた作品にさせるかが、プロとアマの境目なのかなと。

最近ではKADOKAWA刊「はじめての同人誌デザイン」という実用書も出版されましたが、木緒さんがデザイナーとして活動するうえで、最も大事にしていることは何でしょうか?

常々、デザインは情報であり交通整理だと話しているのですが、活動においてもそれが言えるのではないかと思っています。クライアントからの意向を読み取り、翻訳し、スムーズに仕事が進むように段取りを組み、成果物でユーザーとも対話をする、そういったすべてのことも含めてデザイナーという仕事になるのかなと。総合的なコミュニケーションのあり方こそ、デザインだと捉えています。

デザイナー、小説家・シナリオライター、アニメ脚本家、さらにはバーチャルYouTuber。多種多様なクリエイティブ活動を行い続けていますが、その創作意欲はどこから湧いてくるのでしょうか? また、クリエイティブ活動を続ける秘訣はありますか?

何についてもそうなのですが、まず自分がやってみないとそのジャンルを理解することはできないという考えがあり、その精神からくるものが大きいと思っています。知ること、理解することは楽しく刺激があり、そこから次の物作りへの意欲が生まれます。また、違うジャンルの創作から、さらにまた別の分野の創作へのヒントを得ることも多々あります。こういった相互の影響を意識しているからこそ、新しい分野への挑戦を続けているのかなと思っています。あとは何より、新しい物への興味が尽きないからです。それが終わったときがクリエイターとしての活動の終わりだと思っています。

「ぼくたちのリメイク」について

著書「ぼくたちのリメイク」という作品の構想を思いついたきっかけは何でしたか?

物語を作るのはクリエイターですが、”物語を作る側にもさまざまな物語がある”ということを、それまでの経験で知っていたことがきっかけです。そうしたおもしろくもつらいエピソードを、自分なりにアレンジしてひとつの作品にしたいと思っていたところ、ラノベの編集さんからお声がけいただいたので、企画としてまとめました。

大阪芸大時代での経験がなければ書けなかった設定、シーンが多数あるかと思います。特に当時の思い出を反映されたシーンを教えてください。

1巻のラスト近く、機材がないところから作品を作るあたりのシーンでしょうか。あのシーンや状況自体はフィクションなのですが、時間や状況を制限される中で何かを作る、というのは映像学科における定番の悩みみたいなものだったので、「こういうピンチに追い込まれたら、自分ならどうするか」という問いに答えているようで、楽しんで書けたように思います。あと、みんな作中でやたら鍋料理ばかり食べているのは、当時リアルに鍋ばかり食べていたからです(笑)。おかげで鍋レシピだけは今でも大変充実しています。

木緒さん御自身がもう一度学生生活をやり直せるとしたら、大阪芸大で何をしたいですか?

音楽ですね。音楽だけはあこがれたまま何もできなかったので、映像と音楽をしっかりやって、MV(ミュージックビデオ)を作ってみたいです。

クリエイターをめざす学生を始めとする人々に向けて、本作の構成で意識されていることはありますか?

創作はつらいことも多いけど、同じぐらいたのしいこともあるよ、ということでしょうか。どうしてもメディアの中だとつらいこと、たのしいことの片方だけがフィーチャーされがちなのですが、そうじゃないよと。どちらも併せ持っているのが創作のおもしろいところだよ、というのを何より伝えたいと思っています。

さいごに

木緒さん御自身の、今後の目標をぜひ教えてください。

けっこうその都度変わるので難しい質問なのですが、常に動き続けていたいなとは思っています。生きているうちは動いていたいなと。

さいごに、クリエイターをめざすみなさんへのメッセージをお願いします。

肩肘を張りすぎると早々に炎症を起こしてしまうのがクリエイターなので、みなさんなりのやり方で目指していくのがいいのかなと思っています。僕もいわゆる代表作を得られたのはキャリアの数年目以降ですし、生き残ったやつが強い、ぐらいの感覚でやっていくのも生き方ですよ。あと、行き詰まったらそれまでに触れてこなかったものに触れてみるのもいいと思います。興味のなかったところに、次の興味へのヒントが隠されているのが、この世の中のおもしろいところです。

作品紹介

小説「ぼくたちのリメイク」

著者:木緒なち イラスト:えれっと 出版:MF文庫J

特設サイト:https://mfbunkoj.jp/special/remake/

<作品紹介>

僕、橋場恭也はしがないゲームディレクター。会社は倒産、企画もとん挫して実家に帰ることになる。輝かしいクリエイターの活躍を横目にふて寝して目覚めると、なぜか十年前の大学入学時に巻き戻っていた!? 当時受かったものの選ばなかった憧れの芸大ライフ、さらにはシェアハウスで男女四人の共同生活と突如、バラ色の毎日に!ここから僕の人生を作り直すんだ———後の超有名クリエイター(の卵)と共に送る新生活がいま始まる! と、意気揚々と始めてみたもののそんなにうまくはいかないみたいで……。木緒なち×えれっとの超強力タッグによる、青春リメイクストーリー!

「ぼくたちのリメイク」イラスト担当 えれっと氏のコメント
「ぼくたちのリメイク」という作品からは、キャラクターひとりひとりがそれぞれの分野で悩み、迷いながらも力を磨いていく様や、みんなでひとつの作品を完成させていくことの楽しさや難しさなどを、たくさん感じ取ってもらえると思います。また、この作品に通じるところの多い大阪芸術大学。その大学案内については、大阪芸術大学で得た経験を胸に、クリエイターとして力強く未来に挑戦していく……そんなイラストを目指しました。私自身も、投げ出すことなく挑み続けることの大切さを胸に刻んでいきたいものです!

大阪芸術大学2022 大学案内の表紙イラストは「ぼくたちのリメイク」とのコラボで、えれっと先生に描き下ろしいただきました。

©木緒なち イラスト:えれっと

アニメ「ぼくたちのリメイク」

原作・シリーズ構成:木緒なち 監督:小林智樹 アニメーション制作:feel. 

公式サイト:https://bokurema.com/

<作品紹介>

ふと目を覚ますとそこは10年前の今日。僕、橋場恭也はしがないゲームディレクター。会社は倒産、企画もとん挫して実家に帰ることに……。輝かしいクリエイターの活躍を横目にふて寝して目覚めると、なぜか十年前の大学入学時に巻き戻っていた!? 当時選ばなかった道を選んで、憧れの芸大ライフ、さらにはシェアハウスで男女四人の共同生活と突如、バラ色の毎日に! ここから僕の人生ルートを作り直すんだ―――クセのあるクラスメイトたちと共に送る新生活がいま始まる! と、意気揚々と始めてみたもののそんなにうまくはいかないみたいで……。

 

木緒なち×えれっとの超強力タッグで送る青春リメイクストーリーが待望のアニメ化!

 

【放送時間】

〈全国放送局〉

2021年7月3日(土) 22時から TOKYO MX

2021年7月3日(土) 23時から KBS京都

2021年7月3日(土) 24時から BS日テレ

2021年7月3日(土) 24時30分から サンテレビ

〈配信サービス〉

2021年7月3日(土)ABEMA

※放送時間は編成上の都合で変更になる場合がございます。詳しくは各局のホームページをご覧ください

左:アニメ「ぼくたちのリメイク」大学の校舎外観シーン

右:大阪芸術大学 構内


©木緒なち・KADOKAWA/ぼくたちのリメイク製作委員会