『メイソウ家族』制作統括・田中光敏学科長、監督の熊切和嘉先生・金田敬先生が鼎談 『メイソウ家族』制作統括・田中光敏学科長、監督の熊切和嘉先生・金田敬先生が鼎談
田中:『メイソウ家族』は産学共同プロジェクトであり、学生たちにとっては授業の一環として、監督である先生方と一緒に商業映画を作るというものでした。熊切監督、金田監督も学生たちといろいろ話をしながら、バラエティに富んだおもしろい作品を完成させてくださいましたね。まず「MONOS」は、金田監督がこれまで撮りたかったけど撮ってこなかったものが出来上がった気がします。
金田:たしかにこれまでの自分の映画では特殊造形はやったことがなかったですし、これから先もないはず。スクリーミング・マッド・ジョージ先生(映像学科客員教授)が造形を担当してくださると聞き、「この機会は逃したくない。『MONOS』の監督をやってみたい」と思ったんです。自分にとっても新しい試みを実現できる企画なので、だったらとことんまでやってみようという感じでした。
田中:今までやってこなかったことをすべて吐き出しているように思えましたし、なによりまったく迎合していない。遠慮がありませんでした。そして熊切監督には、「YUI」、「UMI」の2篇を制作していただきました。熊切監督が大阪芸大の学生時代に作り忘れていたもの、そしてプロの監督になって以降に経験したこと、その二つが感じられました。
熊切:自分にもそういう意識はありました。「YUI」ははっちゃけた感じがあり、「UMI」はわりと静々と進んでいく雰囲気ですが、どちらも健康的に映画を作っている印象がありました。撮り順としては「UMI」が先だったのですが、そこでは抑制しながら撮りました。そのあとに「YUI」の撮影があったので、「『UMI』では抑えて撮ったから、もう、弾けてもいいか」と。
田中:3作の原作となったシナリオは、数年前の大阪芸術大学の卒業生たちのものをもとにしています。膨大な量のシナリオから私と脚本指導の山田耕大先生(元映像学科教授 2024年度末退職)で約100本選抜し、それをさらに何人かの先生で印象に残ったものを絞り込んでいきました。そして3本ほどになった段階で両監督にお願いしました。私としては「今の両監督だったらこういうものができるんじゃないか」というイメージを持って、シナリオを選びました。そしてそれを現役の学生と一緒に脚色していただきましたね。
金田:「MONOS」は原作のシナリオの段階でSFっぽさがありました。SFはやったことがなかったけど、「このカラーなら自分でもやれる」という感触を得ました。ただ3本の原作の中で、映画化への実現性が高かったのは「YUI」だった気がします。
熊切:「YUI」は原作のシナリオの段階から完成度が高く、「MONOS」も改稿すればおもしろくなりそうな気配がありました。でも「UMI」のもともとのシナリオは説明台詞が多く、決して良いものではありませんでした。しかし、不思議な魅力があるとみんな感じていたんです。設定と筋だけを生かして、シンプルに、映画的に再構築していけば良いものになるのではないかと、ある段階からは思えるようになりました。結果的にそれがうまくいったように感じます。
田中:ただ、そういう作業を「大変だ」とは感じられませんでした。というのも原作のシナリオを書いた当時の学生たち、両監督、そして現在の学生にはそれぞれ世代の違いがあり、視点も異なる。うまく折り合いをつけるために、両監督と学生たちはコミュニケーションをとって脚本を作っていく必要がありました。そこでの両監督は「自分たちはプロだから」みたいな振る舞いが一切なく、学生たちの“におい”やエネルギーを生かしてくださいました。それがすごく良くて、結果的に『メイソウ家族』は商業映画でありながら不思議なテイストが漂う作品になりました。
金田:学生と先生ではなく、共同制作者として接していました。言いたいことをお互いに言い合う、真っ向勝負。こちらがネタを提案すると、学生たちは「それはおもしろくないと思います」とちゃんと意見を言ってくれました。目線が一緒だったんです。特に脚色を担当してくれた村岡楓太さんは、優秀な脚本家でした。指摘するべきところはしっかりしてくれましたし。
熊切:僕は撮影当時、大阪芸大へ来て教えるのは不定期的だったこともあり、学生たちとは深い接点がなかったんです。そんななかでも現場では、何人かの学生が演出部のリーダー的な立ち位置で動いてくれて、とても頼もしく感じました。そういう意味では、僕は一人の監督としてのびのびと撮ることに専念することができました。
田中:学生たちの気持ちを汲むことができた理由は、お二人もかつて大阪芸大生だったからではないでしょうか。ただ我々の時代は、フィルムで映画を撮影・制作していましたね。フィルムのカメラで撮影すると、ミスは許されづらい。なぜならお金がかかるから。学生時代は特に、バイトなどで手にしたお金をフィルムに注ぎ込んで制作していましたから。「もう一度」がなかなか出来ない分、できるだけ準備万端にして「一発OK」を目指していた。でも今は撮影もデジタルカメラですから、たとえミスをしても何度でもやり直しができる。我々の時代と今とではもの作りとしてたくさんの変化があります。
熊切:僕は当時、ビデオカメラもよく使っていましたが、でもぎりぎりフィルム世代。フィルムって手触りがあって工作みたいな楽しさがありました。特に自分でフィルムを手で触り、それを切って繋いで編集していくのが好きでした。今のデジタルではその感覚はないですよね。一方、デジタルはデジタルでおもしろさがあります。撮影も、スケッチのようにラフに撮ることが可能です。僕らの頃はいろいろ決めて撮らなきゃいけなかったのですが、今はもっと自然体でやれる。だからこそ違う文体が生まれてくる気がします。
金田:デジタルは気軽さを持って撮影ができますが、ワンカットに込める熱量はかつてより薄くなっているとは思います。ただ、気軽に撮ることってすごく大切なんです。僕らの時代は「フィルムがあとどれだけ残っているのか」と気にしながらやっていましたから。だから学生時代からデジタルで撮れるのはうらやましさがあります。時間いっぱいまで、いくらでも撮れますからね。
田中:デジタルは失敗を恐れなくていい。何度でもチャレンジができる。完璧を求めることができますよね。ハリウッド映画はそうやって完成度が高まった。デジタルの可能性は限界がなく、VFXも進化している。一方、気軽に撮れる時代だからこそ、想像力がより必要になってきました。なんでも出来る魔法の道具だからこそ、ついついその性能に頼り切ってしまう。むしろフィルムの時代以上に、想像力を豊かにして映像作りに取り組まないといけなくなってきました。
金田:デジタルが主流になっていくらでも撮れるようになった分、商業映画だけではなく学生作品の上映時間も長くなってきたことは特徴としてあります。良し悪しはありますが、「ただただ長い」というものも少なくありません。その辺りも考える必要はあると思います。
熊切:フィルムで撮るとそれだけでどこか奥まった世界が作られる気がするんです。でもデジタルだと生々しくなるので、映像をもっと作り込み、光についてもより繊細に考える必要が出てきました。もっと緻密にやることが求められます。
田中:そういった新旧の時代の考え方を学べるのが、映像学科に新たに誕生するVテックラボです。これはデジタルの研究所のようなもの。しかしデジタルの考え方を学ぶには、フィルムの特別性も知らなくてはいけない。大阪芸大卒業生で日本屈指の撮影監督である近藤龍人さんは今もなおフィルム撮影にこだわりを持っていらっしゃいますが、やはり学生時代、フィルムについて学んだことが生かされているとおっしゃっていました。大阪芸大の映像学科では今後、デジタル、フィルムの両方についてより深く学ぶことができるようになります。
金田:技術や理論について学ぶ一方、自分がなにをやりたいのか人に伝える力も身に付けてほしい。これは現在の学生のみなさんの傾向なのですが、「自分の頭の中にはプランがあるけど、言葉にできません」ということがよくあります。でも映画をはじめ、さまざまな仕事においてもっとも求められるのは、自分の考えを伝えること。僕の授業では「伝え方」の大切についても教えていきたいです。
熊切:僕は2025年春から毎週教えるようになったので、まだまだ手探り。ただ卒業して間もなく30年になりますが、学生時代の記憶がかなり鮮明なんです。だからわりと学生のみんなと同じ立場で物事を考えられる気がします。実習の授業が多くなりますが、学生たちに寄り添いながら一緒に映像を作っていきたいです。
田中:また、『メイソウ家族』のような産学共同プロジェクトは今後も行なっていきます。学生たちにとっては、プロの現場で得られるものはたくさんあります。たとえば熊切監督は現場では、カメラの下に座って役者に演出をつけたりしますよね? 本番でもモニターの前に座らず、カメラの横で演技を見ていることがある。学生たちは「あれ? 監督がモニターを見ていない」と驚いていました。そうやって現場で答え合わせできるもことはたくさんあります。もちろん熊切監督、金田監督の演出方法にも違いがある。そういった経験が、今後の自分たちの作品にも生かせると思います。