卒業生インタビュー 濱名一哉 (文芸学科卒) 「人生をかけて執着できるものに出会えたこと。それが在学時の財産」

当時の夢は編集者 大学での出会いが、映画業界に進むきっかけに。

プロフィール 濱名一哉(はまな・かずや)
1980年文芸学科卒業。
大学卒業後は自主制作映画をプロデュースしつつも、大きな借金を背負い制作会社に就職。
その後、複数の会社で経験を重ねたのち、1993年にTBS入社。
現在、事業局担当局長として、数々の映画制作に携わる。
『のぼうの城』『世界の中心で、愛をさけぶ』『NANA』など、ヒット作多数。

始まりは大学時代につくった1本の自主制作映画。

元々は映画雑誌の編集者になりたかったんです。そこから方向転換したきっかけは、サークル仲間とつくった自主制作映画でした。サークルでは映像学科の学生が多かったので、監督は彼らにまかせることに。じゃあ私は何をすればいいか……と考えたときに、彼らの映画をプロデュースする役回りをやってみよう思ったのです。
作品は何とか形となり、私たちもそれなりの満足感を得ていたのですが、あるとき、東京の学生たちがつくった映画を観て愕然とするのです。“東京の学生がつくる映画はスゴいぞ”と。その作品は、山川直人さんが監督し、「フジ8ミリコンテスト」で優秀賞を獲得したもの。かなり刺激を受けた私は、彼と一緒に映画をつくりたいと考えたんです。それが卒業後に自主制作した『アナザ・サイド』という作品につながっていくのです。

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卒業後には挫折も経験。心を支えたのは映画への執着心。

『アナザ・サイド』に参加してくださった俳優は錚々たる方々。もちろん作品自体もすばらしい出来だったのですが、制作費不足により借金を背負うという、自主制作映画の難しさも体験しましたね。
その後は、映画制作会社に勤めることになったのですが、なかなか制作の現場に立たせてもらえずに“こんなことをやりたいわけではない”と思ったこともしばしば。会社を転々としながら、ようやく本格的に映画プロデュースをさせてもらえる会社に就職しても、その会社自体がうまくいかなかったり……。大学卒業後は、本当に右往左往していましたね。
転機は35歳のとき。私のプロデュース作品を、TBSの方に大きく評価していただき、それをきっかけにTBSへヘッドハンティングされたんです。それからは、『陰陽師』をはじめ、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『のぼうの城』といったヒット作にも恵まれ、現在では年間何本もの作品に関わらせていただいています。

仲間たちの出会いこそ、大学時代の大きな財産。

現在にいたる過程においてそのスタート地点はまさに大阪芸大です。大学生活のなかで映画好きの仲間たちと出会い、そして彼らの映画をプロデュースするという役回りを経験できたことが、現在の仕事の原点となっています。 大阪芸大は総合芸術大学ですから、美術はもちろん、映像や音楽など様々な得意分野を持つ学生たちがいます。私は文芸学科出身ですが、映画というひとつのツールをもとに、学科の枠を越えた交流を育むことができました。彼らと一緒に過ごし刺激を受けたことで、いつの間にか、夢が雑誌編集者から映画プロデューサーへと変わっていった。それが一生の仕事になるなんて、当時は思っていなかったですからね…。
こうして刺激を受け合い、切磋琢磨していけることこそが大阪芸大の大きな魅力です。仲間たちの出会いを大切に、夢へ向かって大きく羽ばたいてください。

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